全世界を得ても

マコ8:36「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう」
いのちは最も大切なものです。人は霊と魂だけの存在で生まれてくることができません。必ず肉体を伴って生まれてきます。それは神が人をあわれむために、不従順の中に閉じ込めたからです(ロマ11:32)。それだけに留まらず、主は神のみ姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることは出来ないとは考えないで、人と同じようになり、あらゆる誘惑にあわれたのです(ピリピ2;6-7)。肉体が邪魔だと思うことは多々あると思いますが、肉体を持つことは神が決めた摂理です。肉の思いの最終目標は、すべてを支配することでしょう。そういう意味においては、全世界を手に入れることは、人の考えつく最高の充欲の形だと思います。しかし人はいつか死ぬのです。この世での富と名誉は、神の国に持ち込むことはできません。人から認められ、尊敬される人生は有意義なものだとは思いますが、神と共に歩む人生と比べるなら、比較対象にさえなりません。イエス様の言われた「いのちを損じる」は「神と共にいない」という意味だと思います。誰からも認められなくても、神おひとりに認めてもらえれば最高の人生ではないですか?