あわれむための口実

ロマ11:32「なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです」
完全なものを哀れむことはできません。天使に対して哀れみはないのです。人の完成形のアダムはどうだったでしょうか?最初はうまくいっていました。アダムとエバは共に主と語り合い、主の言葉を直接聞き、理解していたのです。しかし、やがて二人は罪を犯してしまいます。なぜなら人は最初から不従順のうちに閉じ込められていたからです。それは肉の思いのことを指しています。肉はあくまで自分を優先する判断をし、神への従う心を妨げるものです。なぜ、神はそのようなことをされたのでしょうか?一つはここに書かれているように、あわれむためです。もう一つは、従えない肉体を持つ人間が、それでも主を求め、主を礼拝する選択をすることによって主の栄光を現わすためです。この世の最初から、この原理は変わっていません。それゆえに、イエス様は地上に残らず、福音を人に委ねたのです。それは、必ず人は肉の思いを断ち切って、主を礼拝することを選ぶという神の確信だと思います。今は見えなくても主は生きておられ、昔も今も、また未来に至るまで私たちを見守り、愛し続けてくださいます。主が生きておられ、やがて主の支配する時代が来ます。そのとき主を信じる人たちが永遠に礼拝を捧げるのです。