霊と知性を使って

1コリ14:15「ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう」
パウロは異言よりも預言を推奨しています(2-3)。この手紙の内容から、コリントでは異言が多く語られ、預言や異言の説きあかしはほとんどなかったと思われます。それでも聖霊はコリント教会に注がれ、多くの人が祈る際に異言を使っていたようです。しかし、異言は聖霊の一部分でありそればかりを強調することないようにパウロは説得しています。預言、異言、異言の説きあかしは聖霊教会の3点セットです(5)。バランスが取れた教会ならこのすべてが与えられ、それぞれの賜物が生かされているでしょう。異言だけでは「知性は実を結ばない」のです(14)。「実を結ばない」のギリシャ語は「akarpos(アカルポス)」で、「不妊の」という意味もあります。聖書ではよく植物がたとえに使われますが、実を結ばない木は葉も繁らず、花も咲かせず、子孫を残すことができません。パウロはバランスを訴え、異言を語ることを禁じるのではなく(39)、知性の祈りや賛美も同等にするべきだと教えています。肉は霊に反することは明白ですが(ガラ5:17)、その肉をもって祈り、賛美することは主の喜ばれることです。