生きることはキリスト

2コリ13:4「確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです」
自分を殺す→キリストが生きる…こういう図式が成り立つと思います。生きることはキリスト、死ぬこともまた益(ピリ1:21)…は、パウロの究極の悟りではないでしょうか?また逆も真理で、キリストを殺すこともできる、ということが出来ると思います。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに十字架につけてしまったのです(ガラ5:24)」とあるように、聖霊を受け御霊の実を実らせるものは明らかに変わっていくのです。しかし、キリストに従わない者、十字架の購いを理解せず、信じてはいるもののキリストをはずかしめる者たちは実を実らせません。パウロは罪の中に歩んでいる者たちに「容赦しません(2)」と警告しています。うちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないなら(5)、もはやキリスト共に生きていないのです。神の力のゆえにキリストと共に生きるなら、生きることはキリストなのです。