アサの晩年

2歴16:12「それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた」
苦しいときは、誰でも何かに頼るものです。アサが医者を求めたことは自然なことだと思います。しかし主が苦しみを与えるのは、主に拠り頼むようになるためです。苦しいときこそチャンスだと思えれば幸いだと思います。それは、どんなに信仰があっても、ずっと飢え乾いて主を求めることは難しいからです。ある人は、自分を追い込むために断食をします。恵みの下にあって、ずっと平安が与えられるなら、恵みの価値は薄れていくでしょう。イエス様の言われた「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい(マタ19:24)」は、実に的を得た真理です。満たされた心には飢え乾きはありません。アサは病気になったとき、恐れが彼の心を支配したのです。それはサタンの常套手段です。不安、恐れは信じる気持ちを消してしまいます。アサにもヨブと同じぐらいの信仰があれば歴史は変わっていたかもしれません。