民に教える

2歴17:9「彼らはユダで教えた。すなわち、主の律法の書を携えて行き、ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた」
これが律法の書が登場する最後の記述になります。この後、律法の書は34章で発見されるまでどこにあったのか不明です(34:14)。ヨシャパテは父アサと違って、最後まで主に拠り頼み、主の目にかなうことを行いました。ヨシャパテは自らが主に従っただけでなく、高きところとアシュラ像を除き(6)、町々で民に教えたのです。何を教えたのでしょうか?ヨシャパテのつかさのほか、レビ人すなわち祭司が同行し(8)、さたに律法の書を携えていたことから、主の律法を教えたことは明らかです。民を教育し、国民全体が主に従い呼び求めるなら、その国は強固なものとなり祝福を受けるでしょう。ヨシャパテのアイデアはすばらしいものです。しかしその後律法の書を携えて、民に教えるという記述はどこにもなく、律法の書自体が宮の奥まった場所に埋もれてしまうのです。教会も教えが必要です、聖書の学びなくして、教会は成り立ちません。なぜなら、すべては神の御心によって動くからです。神の御心は聖書にすべて書かれてあります。