忘れ去られた人

伝道9:15「ところが、その町に、貧しいひとりの知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を解放した。しかし、だれもこの貧しい人を記憶しなかった」
知恵があっても貧しければ、誰も気にとめないのは悲しいことです。ソロモンのこの話は実話だろうと言われていますが、文字通り誰も記憶しなかったので、記録は残っていません。町が囚われの状態にあり、開放されたのに、その英雄の名を知ろうともしないのです。人の目は裕福で、名がある者に注がれるとするなら、本質はどうやって見分けるのでしょうか?世間では、盲目なのにすばらしい音を奏でる、知能が低いのに色彩豊かなダイナミックな絵を描ける…など「○○なのに」という条件が付くとき驚嘆の目でその人を見ます。貧しいことはそれだけでマイナスです。しかし金持ちは神の国に入ることは難しいとされており、世間の目がどんなに金持ちに注がれようと、心の中身は見えないのです。これは神の知恵だと思います。見える世界だけがすべてなら、人の心はそれだけのものです。見えない世界を知り、見えないものにこそ価値があることに気づく人がいるなら、貧しくても知恵のある者に目を向けたでしょう。イエス様はちょうどソロモンのこの言葉のように振る舞いました。罪から開放されたにも関わらず、イエス様のことは忘れるなら、ソロモンの言った通りになると思います。