ヨハネとイエス様

黙1:17-18「それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた『恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている』」
よみがえったイエス様と弟子たちとの記事は福音書の中にも見られますが、ここでは全く違うイメージで描かれています。ヨハネは主に愛された弟子で、ペテロ、ヤコブとともに多くの場所への帯同が許されており、最後の晩餐のときも主の右隣りに座れるほど信頼がありました。にもかかわらず、ここではのイエス様の姿は見たこともないような形容で表されています。しかも直視するなら、心臓が止まるほどの輝きです。もっと感動的なイエス様との再開かと思いきや、ここでは一切の私的感情もなく、ただ御霊に導かれるようにものを見、感じているのです。黙示は、語られる内容の中に隠された意味を持つことで、それゆえに多くの聖書学者たちを悩ませてきた難しい書物です。イエス様が最初から気にしていることは「教会」のことです。7つの教会、あるいは7パターンに分けれる、7種の教会には主の大切なメッセージが語られます。世の終わりの前にこれを読んで悟る教会は幸いだと思います。