聖所が開かれるとき

黙15:1「また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである」
神の怒りは最高潮に達します。七人の御使いが七つの鉢をぶちまけるとき、今までにないほどの災害が地上を襲います。このとき、天にある神殿の聖所が開きます(5)。本来、祭司が神との会見を行う場所で、至聖所との間に垂れ幕があるはずですが、イエス様の十字架の時にこの幕は裂けてなくなりました(マタ27:51)。つまり、聖所が開かれたということは、神と人が直接会う準備ができたという意味になります。しかし、災害が全て終わるまでは、聖所に入れない(8)、と書かれています。私たちはイエス様の前に出ることはできますが、父なる神と直接会うことはできませんでした。すべてはイエス様の名前によって、可能にされていますが、現実には神を直接見ることはできません。ここで聖所が開かれたことには大きな意味があると思います。ついに契約の箱を通してでもなく、垂れ幕がさえぎることもなく、人は神と会い、キリストと教会の結婚が完成するのです。