第2の死

 黙20:6「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる」
 第一の復活に預かることができるのは、千年が終わってもサタンの誘惑に勝てるような信仰の厚い人たちです。これらの人たちがもう一度死ぬことはありません。第二の死はなんの力も持っていない、と書かれているように、2回目の死は彼らを支配することはありません。千年の間イエス様とともに生きることができる人たちは幸いです。しかし、千年の間にも隣国は存在し、千年後惑わされる人々もここに取っておかれているのです(8)。サタンは縛られ、底知れぬところに閉じ込められています。なぜ、サタンは解き放たれなければならないのでしょうか?いのちの書がこの謎に大きく関わっていると思います。つまりさばきが行われるのはすべて千年の後に行われると書かれています。死者はすべて、このときにさばきを受けるのです。死は終わりではなく、さばきまでの時間を過ごす場所ではないでしょうか?