新天地になっても

黙21:27「しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる」
千年が過ぎ、さらに新天地になっても、都に入れる者と入れない者がいるようです。古きは過ぎ去り、見よ、すべては新しくなる(2コリ5:17)…とあるように、すべてが過ぎ去り、今まで誘惑の限りを続けてきたサタンももはやいません。にもかかわらず、都の大きさが計られ、その周りに城壁が建てられています(17)。何かから守る必要があるのでしょうか?都の周りには、汚れた者、憎むべきことと偽りを行う者がまだ残っている?…のでしょうか。これより以降の歴史は書かれていません。千年の後には永遠のときが来るからです。私たちは永遠を生きるために、今の誘惑と戦わねばなりません。ひとときの誘惑に敗北するより、永遠に生きるために耐え忍ぶことが求められるからです。決して自分で戦わずに、神とともに生きた者だけが誘惑を跳ねのける力が与えられるのです。それが、いのちの書に書かれている人たちの生き方だからです。