神に聞いてみたい

ヨブ13:3「だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい」
今、ヨブと3人の友人は「神」について語り合っています。どんなに4人が知恵を出し合い、知る限りの知識で「神」を論じ合ったところで神を理解することはできません。アブラハムは6回もソドムの中に正しい人がいたら滅ぼすかどうかを聞いています(創18章)。それはアブラハムが主のことを知らなかったからです。本来なら神と論じ合うことなど不可能です。それでも人は人生に疑問を持ち、身に起こる幸、不幸を不思議に思うのです。ヨブもその身に起きる主の大きな恵みのゆえに、感謝をささげ、礼拝していたと思います。しかし、すべてを失い、体まで病におかされるなら、何を喜べば良いのでしょうか?友はたとえヨブが潔白でも、神は正しい裁きをなさる…と言います。悪は罰の対象だと誰もが考えることです。どんなに知識があり、学んだとしても、この世のすべてを理解すことはできません。ちりに過ぎない人が神と論じ合っても、理解はできません。圧倒される存在に息をのみ、沈黙するだけだと考えます。