自分でも知りえない不思議

ヨブ42:3「知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を」
神のわざすべてを知ることなど到底できません。ヨブも3人の友人もできる限りの「神論」を闘わしてきました。この節は神があらしの中現れたときに「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか(38:2)」という問いかけにヨブが答えたものです。知ったようなことを言ったのはヨブも含めて全員でした。神をどんなに理解しようとしても、有限の人間には無限のことなどわかるはずもないのです。ヨブは自分こそ「義」であると、信じていましたが、それは彼の持てる全知識から得た結論でした。知識があるゆえに見えな いこともあるのです。知識が邪魔をして常識を疑うことができない場合もあります。主の一つ一つのわざは人の目には不思議に映るでしょう。日が東から昇り、西に沈むことでさえ(38:12)、人にはコントロールできません。地上に重力があり、空気があることも神のわざです。しかし、それを「奇跡」と呼ぶ人はいません。ヨブは知り得る範囲だけで主を知ろうとし、語ろうとしました。ヨブはこの試練でさらに神を深く悟ることができるようになったでしょう。