役にたつ損得で考えるな

ヨブ35:3「あなたは言っている。『何があなたの役に立つのでしょうか。私が罪を犯さないと、どんな利益がありましょうか』と」
私たちは神の役にたっているのでしょうか?生まれてこのかた、何か神を喜ばせることをしたでしょうか?得とか損で判断されるわけでもないでしょうが、神に「造ったことを残念に思う(創6:7)」と言われないように注意しなければなりません。神が祝福を与えるのは、良い行いのためではありません。良い行ないは信じる結果にすぎないのです。神を信じる信仰があって初めて良い行ないが評価されるのです。そこに損得の感情を持ち込むことはタブーです。クリスチャン以外の人々は神社やお寺に行って、ひも付きのさい銭を投げ込むのです。それは決して心から捧げるものではありません。むしろ、「これだけ捧げたのだから、何倍にしても返して欲しい」という浅ましい考えが心を支配しています。5円より10円、10円より100円のほうが効き目があると考えるのは自然なことかもしれません。しかし、神と何の取り引きをしようというのでしょうか?正義と金を引き換えにするつもりなのでしょうか?浅はかな考えは、すぐに見破られてしまいます。