ローマ教会では

ロマ2:25「もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです」
警官の制服を着ている人は、採用試験を受けて合格した人たちです。もし、警官でもないのに警官の制服を着ているなら、偽警官として処罰されるでしょう。割礼は律法の下にあるもので、律法が守られてるなら自分の包皮を切り落とすことに意味があるのです。意味もなく自分の肉体を切り刻むなら、ただの精神に異常をきたした人です。割礼の命令そのものが、律法から来ているのです。生まれてから8日目の命令は守ることができても、主のみを礼拝しなさい…という命令には従えないのなら、片手落ちです。それはニセ警官ならぬ、ニセユダヤ人です。あらゆる律法が守られる条件の中のひとつに割礼があります。体に見えるしるしだけを守り、目に見えない信仰に関する律法をないがしろにするなら偽善者です。ただ、しるしを求めるなら割礼は無意味な、飾りだけのものになってしまうでしょう。逆に無割礼の人が律法を守るなら割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか(26)。ローマ教会の中に、自分はローマ人だけれども割礼を受けているからキリストを信じる資格がある、という人が多かったのだと思います。形だけの信仰をパウロは嫌っています。