パウロの伝えたもの

ガラ1;4「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです」
福音の根幹がここに書かれています。それでもガラテヤの人たちが違う教えに走ったのはなぜでしょう?パウロは懸命に福音は神から来たもので、誰からも教えられていないことを強調しています。12使徒たちの誰かから教えられたとするなら、また聞きになり、正確な福音ではないと誰かに吹き込まれたのではないでしょうか?しかし、パウロは救われてから3年もの間、ペテロにはあっていないと証言しています(18)。それどころか使徒たちには誰にもあっていないとさえ言っているのです。それは、あくまでもパウロが主と出会って心に直接福音を刻まれたことを強調したかったからだと思います。伝えたいことはキリストであり、父なる神の御心です。それがどこかで捻じ曲がって、オリジナルのものと違っているなら大変です。パウロはまず、自分の伝えた福音のオリジナル性を訴えたかったのです。パウロの伝えた福音そのものが間違っているなら、ガラテヤの人たちが違う福音を信じるようになっても文句は言えません。パウロははっきりと啓示を受け、心に福音を刻まれたものと証ししています(12)。ガラテヤの人々は、他の宗教と同じように人間的な思いで、少し違っていても福音は同じだと考えていたのです。