私のうちに生きている

ガラ2;20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」
福音の根本は「神が共にいてくださる」ことだと思います。キリストが私のうちに生きている…は、まさしく福音です。神の恵みと祝福が満ち溢れた幸福な生活が、救われたクリスチャンには全員に用意されている、なとど考えているなら大間違いです。たとえ、健康であろうと病気であろうと、金持ちであろうと貧乏であろうと関係ありません。その人の信仰にあわせて主は人生を設計されておられます。信仰によって耐えられる環境が違ってくるからです。人の目には、苦しく残酷に見える人生であっても、主がその人の信仰を見られて造られた人生です。最後には、死にまでも忠実な者は大きな祝福を受けるでしょう。主を信じたから死んだ…などと思わないことです。最後まで主が共におられる方が、神なしで死んでいくより、どれだけましか想像してみることです。イエス様は十字架の上で大きな声で「なぜ、わたしを見捨てたのか」と叫びました(マタ27:46)。神は罪ある者を直視できません。イエス様の身に降りかかったすべての人類の罪のゆえに、神はイエス様から目をそらせたのです。愛のゆえにご自分を捨てた方を信じるなら、主は最後まで共にいてくださいます。