さばかれる前に

イザ5:16「しかし、万軍の主は、さばきによって高くなり、聖なる神は正義によって、みずから聖なることを示される」
どんなに親が望んでも、子が親の思い通りに成長するとは限りません。イスラエルの民はまさしくそのような子供のようです。主から選び出されたアブラハムの子孫たちは、エジプトから約束の地へ帰ってきましたが、王から王へと世代が交代するにつれて、主の御心からはかけ離れたものになってしまいました。その大きな原因は高慢です。豊かさはへりくだりを忘れさせるものです。へたに祝福を受けて、多くの富を得たとしても、その富が心の支えにはなってくれません。むしろ多くの富よりも大切なものに気づくことができる人が主に従える心を養えるのではないでしょうか?イザヤの預言は、王だけでなく、イスラエルの民ひとりひとりに対する忠告だと思います。主は怒るに遅く、忍耐をもってイスラエルを導いてきましたが、ついに裁きを下すときがきました。それは、正義によって、みずから聖なることを示すためだと書かれています。イスラエルは主が導いて、戒められていたにもかかわらず、御心から離れてしまいました。心を主に向けるには、肉と戦わなければなりません。肉の思いが強ければ強いほど、主に近づくことが難しくなります。イザヤの預言から、イスラエルの戒めを自分のこととして受け入れるなら、主は受け入れてくださるでしょう。