悟っておくべき

イザ27」11「その大枝が枯れると、それは折られ、女たちが来てこれを燃やす。これは悟りのない民だからだ。それゆえ、これを造った方は、これをあわれまず、これを形造った方は、これに恵みを与えない」
主はすべての人に目を配り、気に留め、滅びることのないように愛を注がれています。しかし、それは条件付きです。ある時が来るならば、主の怒りは頂点に達し裁きを行うようになります。聖書は最初から最後までにかけて、このことが書かれているのです。主は愛なるお方、いや愛そのものだとヨハネも語っています(1ヨハ4:7)。だからといって正義を曲げるようなお方でもありません。主は忍耐を持って我慢しておられるのです。本来の神と人との関係に戻すために、ご自身の命までささげて成就しようとしているのです。目的はすべての人が救われることですが、預言にあるようにすべての人が救われるわけではありません。イザヤは悟りのない民が滅ぼされる様子を預言しています。たとえ救われようとも悟らず、神を恐れず、自分勝手に生きるならば、神は容赦しないでしょう。むしろ福音を知らない方がましなのかもしれません。聖書には御言葉を教えるものには、格別に厳しい取り扱いがあることが書かれています(ヤコ3:1)。神を知りながら、御心とは離れてしまうなら、もはや神の民とは呼ばれないのです。