惜しまず、あわれまない

エゼ7:4「わたしはあなたを惜しまず、あわれまない。わたしがあなたの行ないに仕返しをし、あなたのうちの忌みきらうべきわざをあらわにするとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」
主に拠り頼む者たちと自分勝手に生きた者たちとの違いがここに書かれています。主を知りながら良い行ないに走らず、主を裏切る行為には「仕返し」が用意されています。主は本来、愛なるお方で忍耐強いお方です。にもかかわらず「惜しまず、あわれまない」という言葉は何度もエゼキエル書で繰り返されています(7:9、8:18、9:10)。とくに9節においてはほとんど同じ言葉が書かれています。主はせっかく造った人間をロボットのようにではなく、自分の意思で主を選ぶことを望んでおられます。それは、現在でも同じです。イスラエルだけが約束の民ではなく、福音は異邦人にも及びました。それは罪の代価をイエス様が支払ってくださり、そのイエス・キリストを信じる信仰によって主に認められるのです。罪は人の肉のゆえに残りますが、その都度、主を選ぶか肉に従うかを選択しなければなりません。罪が無くなったというのは、あくまでイエス様を信じる信仰によります。信仰があれば、つまづいても、失敗しても、主がチャンスを与えてくださいます。主が惜しまず、あわれまないときは何度もチャンスを見逃し、自分の肉の思いばかりで判断する人生を歩むからです。