いなくなる主権者たち

イザ34:12「そのおもだった人たちのうち、王権を宣言する者が、だれもそこにはいない。すべての首長たちもいなくなる」
いきなり王になった人はいません。聖書には王を求めるイスラエルの民の中からいかにして、サウル、ダビデが王になったかが描かれています。サウルは荷物の間に隠れていたおとなしい青年で(1サム10:22)、ダビデにいたっては羊飼いでした。いずれも主が油注がれた結果、王となりました。王族が何百年にもわたって続くことは世界的にもまれです。そういう意味では日本の天皇家の続き方は異常ともいえるでしょう。権威あるものが権威を持ち続けるには、長い間生きることが必要です。どんな王でも権威あるものでも必ず死に、それを継承する次世代の者が同じようにいることは難しいものです。イザヤの預言ではそれらの者も、主が怒りをふるい民族が衰えるときにはいなくなると書かれています。やがて、すべての権威ある者、王や貴族、主権者たちはやがて主の前にひざまずき礼拝するようになるでしょう。主の前ではへりくだる者が人の上に立ち、高慢な者たちが低くされるのです。この聖書の倫理が世界の標準となり、すべての人が互いに敬い、思いやりと哀れみと愛を持って接するなら、戦争のない平和な世界が実現するはずです。しかし、実際にはそうなりません。主がこの世を治めなければ平和は不可能だからです。