不思議なお方

イザ48;11「わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行なう。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない」
主は神であり、永遠にそれは変わりません。最も輝ける存在で、おごることなく、へりくだり、愛に満ちたお方です。栄光はすべて主のものだと言っても過言ではありません。スポーツ選手が優勝したり、世界記録を破ったときに天を見上げ主に栄光を返すポーズをとるのをよく見かけます。オリンピックでは世界中継ですから、それが何を意味するかを知る人は多いはずです。音楽の世界でも、心に残るすばらしいスピーチのときでも、あるいは人をハッとさせるパフォーマンスでも、人々は拍手を持ってその人を賞賛するでしょう。しかし、本当に賞賛を受け、崇められ、礼拝されるべきお方はひとりだけです。主は自分の栄光を他の者には与えない、と語っています。なんだか心の狭い、けちのようなイメージを持つかもしれませんが、主の栄光を受けられる人間はこの世にいません。それほど神の存在が崇高で気高く、近寄りがたいものなのです。本来ならその姿を見ただけでも人は死んでしまうほど聖なるお方で、真実に満ち、愛にあふれ、決して自らを誇ることはありません。そんな神がなぜか人を愛し、命を救い、ともに生きようとするのです。主の別名は「不思議」とよばれています(士13:18)。その名の通り、主は私たちの理解を超えた存在なのです。