ご自身を否むことができない

2テモ2:13「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである」
この「否む」のギリシャ語は「arneomi(アルネオマイ)」で、ペテロがイエス様を否定したときに使った言葉と同じです(マタ26:70など)。とても強い否定で決して受け入れることのない心の様子を表します。またイエス様は「人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います(マタ10:33)」と言われ、人前での神の否定は、その人自身の否定に相当することを説明しています。自己否定をする人は存在価値の理由を無くし、果てには自殺に至る場合もあります。主ご自身は決して偽りを言うことがなく、すべてが真実で、そのことばは確信に満ちています。ご自分の語ることばが実現しないなどと、微塵にも思っていないのです。絶対的存在で、絶対的権威のあるお方です。そのようなお方が「神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました(ピリ2:6-7)」…これがどれだけの譲歩だったのかは、人の理解を超えます。ご自分は否定しませんでしたが、「無」になり、人に仕えられたのです。それだからイエス様は素晴らしいのです。