見たこともない姿

イザ52:15「そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ」
イザヤの時代にはまだ捕囚は始まっていませんが、イザヤが見た幻にはしいたげられ、苦しみに会う同胞の姿がありました。イザヤの預言には、敵から攻められて補修に苦しむものもありますが、その後に解放され、回復される様子も描かれています。多くに国々は何に驚いたのでしょうか?主に従うしもべの様子が普通の違っていることが前節に書かれています。「その顔立ちは損なわれて人のようでなく、その姿も人の子らとは違っていた(14)」…損なわれていた、とは英語で「marred」と書かれ、原語では「mish-khath(ミシュカ)」とあり、ダメージを受けるとか原形を損なうという意味になります。国が回復され、主の民が贖われることがここに書かれているのに、最初の姿とは違っているのです。人々はしもべが変わり果てた姿を見て驚き、そのしもべが高く上げられるのを見ます。それはひょっとしたらイエス様の十字架のことを言っているのかもしれません。イエス様は殴られ、つばきされ、鞭打たれ、ひげまで抜かれたと書かれています。到底、礼拝される神の姿には程遠いものでした。しかし、その姿こそが神の愛の姿なのです。どんなに不細工でも、神の目には高価で尊く、高く上げられるべきはイエス様の十字架ではないでしょうか?