安息日は誰のもの

ヨハ7:23「もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか」
安息日に働くな」と「安息日に動いてはならない」は微妙に違う言葉です。実際には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ(出20:8)」が最初に聖書に書かれている律法の表現です。英語の安息日「sabbath」は、ヘブライ語「shabbath」から派生した言葉でスペルも発音もほとんど同じで使われています。もともとsabbath自体に「休息」とか「安息」の意味が含まれ、休むことは聖なることとされていました。しかし、律法は時代とともに捻じ曲げられ、反するなら罰則の対象となり、神に対する背信行為とみなされユダヤ人の中でも孤立を余儀なくされたのでした。安息日に割礼をすることば、そういう意味ではデリケートな部分だったと思います。「何もしてはいけない」のなら、割礼も仕事をしたことにならないのか?…矛盾がそこに生じます。イエス様はそれを見抜いていました。人が苦しみ、困っているのに安息日を守る故に、その人が死んでしまったり、苦しんでいるのならなんとかしなければなりません。うわべだけ飾ったとしても、律法を守ったことになりません。神との約束は、自分だけが助かるためのものでなく、同じ仲間が共に主を礼拝できるためのものです。