神の霊が下るとき

1サム11:6「サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった」
サウルは霊に対して敏感な体質だったのでしょうか?以前にも預言者の一団に出会っただけで預言をしています(10:10)。また、ダビデに王の権威が移ったときも神の霊がサウルから離れ、わざわいの霊がサウルを悩ませたことが書かれています(16:14)。ヤベシュ・ギルアデはベニヤミンの地でサウルはここの出身でした。同胞の目がえぐられて、奴隷なると聞いて納得する者などいません(2)。自分の故郷の話ならなおさらのことです。サウルがイスラエルや同胞の危機に怒りを燃やし、戦おうとした姿は主の目には頼もしく映ったのかも知れません。しかし、最初の臆病なサウルが頼もしくなるに連れて、サウルの態度は変わってしまうのです。最後には主の霊でさえ離れていってしまいます(16:14)。ギデオンの勇士たちのように「よおし、やるぞぉ」という気負いばかりでは駄目なのです(士7:2-7)。落ち着き、冷静を保ちつつ心を燃やすことはなかなか難しいことですが、霊が燃えるだけでなく、次のステップが大事なのだと思います。主はリーダーにそのようは資質を求めておられます。