神の忍耐

黙15:7「また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した」
天には神殿があり、聖所の中に契約の箱があることも確認されています(11:19)。黙示録には「most holy
place(至聖所)」という記述はありません。それは、イエス様が十字架にかかったときに聖所と至聖所を区切っていた幕が2つに分かれ、イエス様を信じる者たち一人一人が祭司の役目を果たすようになったからです。それでもこの7つの災いが終わるまでは聖所に入れないと書かれています(8)。祭司すなわちクリスチャンの役目は終わったのです。それまでに祈りは積み重ねられ、多くの犠牲と苦悩の中に置かれたクリスチャンたちの忍耐が実を結ぶときがきたのです。もう神の憐れみや情けを望んでも間に合いません。主の忍耐は最後の最後まで続き、救われない人がひとりでも減らされるようにお望みになられたのです。しかし、時間は過ぎてしまいました。最低でも地上の3分の1の人口の人々は神を信じず、自分勝手に生きたのです。またそうやって死んでいった人の裁きも同じように行なわれます。なにやら怖いイメージですが、神の忍耐は最後まで続けられ、人を愛され続けたのです。それでも神の和解を受け入れず、自分中心の人生を送るなら、神の御怒りから逃れることができないのです。