少年ダビデ

1サム16:7「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」
人の目はなんとごまかされやすいのでしょうか?サタンが人の心に入り、見るものを美しく飾らせ、人に好ましいようにするなら、簡単にだまされてしまうでしょう。しかし、主の目は違っています。美しく造るのは主のわざですが、主はうわべを見ずに心を見ます。サムエルはエリアブを見たときに同じ過ちを犯してしまうのです(6)。なぜなら、主が最初に選んだサウルは誰よりも背が高く、容姿も美しかったからです。エリアブの容姿は書かれていませんが、おそらくサムエルは前例にならって判断し、エリアブのがっしりした体格、容姿などを見て主が選んだものだと感じたのだと思います。主が選んだダビデはまだ少年でした。まだ発育途中でしたが、血色が良く、目が美しいと書かれています(12)。こんどは成長した大人を選ばず、これから訓練を受けて育っていく存在です。若い人は教会の中でも重要な存在です。「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい(1テモ4:12)」とあるように、若くてもしっかりするように勧められています。もちろん、失敗もあるでしょうが、若さの中にある可能性は無限大です。なによりも心を整えるなら、主は若くても聖霊を注いでくださるでしょう。