詩125:3「悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである」
アダムとエバが知識の木の実を食べたために、人には善悪を知る知識が備わりました。人は正しいことと悪いことをなんとなくわかっています。例えば、どの国でも殺人はいけないことだと理解しています。盗みはやってはいけないものだと知っています。アフリカあたりでは盗まれることは日常茶飯事ですが、誰も堂々と盗む者はいません。他の人に見つからないようにコソコソ盗むのです。なぜならそれはいけないことだとわかっているからです。善悪のゆえに、人は他人を裁きます。では善悪を知っているはずなのに、なぜ悪を行なうのでしょうか?パウロは「自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。…それを行っているのはもはや私ではなくて、私のうちに住む罪です(ロマ7:21)」と言っています。悪があるから誘惑されるのです。世の中すべてが誠実で、不正がなければ、サタンはどうやって誘惑できるでしょうか?この世界に善悪が入り込んだのは主の計画だと思います。暗闇がなければ、光が輝くことがわからないように、悪がなければ善の正しさを知ることができません。すべては主の栄光が輝くためです。この計画は難しく、険しい道のりを経なければ完成されません。義のためにすべてを捧げたのは主のほうです。
アダムとエバが知識の木の実を食べたために、人には善悪を知る知識が備わりました。人は正しいことと悪いことをなんとなくわかっています。例えば、どの国でも殺人はいけないことだと理解しています。盗みはやってはいけないものだと知っています。アフリカあたりでは盗まれることは日常茶飯事ですが、誰も堂々と盗む者はいません。他の人に見つからないようにコソコソ盗むのです。なぜならそれはいけないことだとわかっているからです。善悪のゆえに、人は他人を裁きます。では善悪を知っているはずなのに、なぜ悪を行なうのでしょうか?パウロは「自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。…それを行っているのはもはや私ではなくて、私のうちに住む罪です(ロマ7:21)」と言っています。悪があるから誘惑されるのです。世の中すべてが誠実で、不正がなければ、サタンはどうやって誘惑できるでしょうか?この世界に善悪が入り込んだのは主の計画だと思います。暗闇がなければ、光が輝くことがわからないように、悪がなければ善の正しさを知ることができません。すべては主の栄光が輝くためです。この計画は難しく、険しい道のりを経なければ完成されません。義のためにすべてを捧げたのは主のほうです。