涙とともに

詩126:6「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」
聖書を読んで思うことは、主に救われてすべてがバラ色の人生になるとは限らないということです。主に近づけば近づくほど、聖められ、今のままの状態でいることは難しくなります。それは神が人の成長を願っておられるからです。たとえ救われたとしても肉のままの性質をそのまま残して主に従うことなどできません。聖霊を受けても瞬時にして性格が変わるわけでもありません。徐々に主が試練を与えてくださり、肉ではなく御霊による判断をするように訓練されていきます。時には迫害もあるでしょう。「泣きながら」出て行く者たちは、主に愛された者たちのことです。自分の力ではどうすることもできない状況になったとき、頼れるお方はたった一人だけだと主に祈ることができれば幸いです。それでも祈りの応えの時間が長いと不信仰になったり、諦めたりするものです。涙なくして人生を渡ることができれば良いですが、主は人の心を見られます。たとえヨブのように信仰に厚いものですら主からの試練を受けるとするなら、私たちはどれほどのものでしょう。しかし、主は悲しむ者たちをそのままにしておかれるお方ではありません。泣く者は喜びとともに勝利と主の栄光を刈り取るのです。