主の思いは高くても

詩138:6「まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます」
健康な人が病気の人を哀れみ、救いの手を差し伸べることはあっても、金持ちが貧乏な人に手を差し伸べることはまれです。貧しい者は山ほどいて、金持ちのお金などあっという間になくなりきりがないからです。人は高く上げられるなら、低い者への関心が薄れるものです。しかし主は「わたしの思いは、あなた方の思いよりも高い(イザ55:9)」と言われているのに、低い者への哀れみを決して忘れません。イエス様はご自分を無にして仕える者の姿をとり、人と同じようになられたのです(ピリ2:7)。これが福音の本質です。主は高いところから、人に律法を守るように命令だけされるようなお方ではありません。自ら神のあり方を捨てて、人と同じように肉を着、神と人の本来のあり方を示されたのです。それはただただ主の愛のほかありません。その原点になるのは「低い者であっても顧みてくださる」というこの詩篇の言葉だと思います。被創造物が創造者に対して対等な立場を要求することはおこがましいことですが、主は人に対して対等どころかご自分の子として、友として、花嫁として扱われているのです。なぜそこまで人を愛して、顧みてくださるのかはわかりません。主の愛を知るにはもっともっと主と交わることが必要だと思います。