ダビデの幕屋

2サム7:7「わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか」
主がモーセに命じられた幕屋の形はそのまま神殿の形式となりました。洗盤があり、祭壇があり、聖所、至聖所とつながります。おごそかな雰囲気のもと、大祭司が至聖所に入るときには青服のすそに付けられた鈴の音だけが響いていました(出28:34)。鈴の音がしなくなったとき、それは主の怒りで大祭司が倒れたときです。とても厳しく、主に対する恐れが神殿の中に満ちていました。一方、ダビデの作った簡易の天幕では、契約の箱は真ん中に置かれその回りで賛美と踊りが行なわれました(6:17)。モーセの幕屋と比べるならとても騒がしいイメージです。ソロモンが作った神殿はモーセの幕屋タイプのおごそかな雰囲気で金の輝く豪華なものでした(1王6章)。しかし、主はここでも言われているように杉材の家を欲しているのではなかったのです。むしろダビデの作った賛美のあふれる天幕のほうを好んだのです。「その日わたしは…昔の日のようにこれを建て直す(アモ9:11)」と預言にもあるように、賛美で満ちあふれる天幕が終わりの時代に復活することが約束されています。楽しくていいのかな?…そう思わずに、主への喜びをぶつけてみましょう。