変な神の名をつけられて

使14:11「パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った」
どこの世界でも土着の宗教はあるもので、バルナバパウロはまさしくそういう地域に使わされたのです。ルカオニヤ語はルステラの人々が話していた言葉で、ギリシャ語の派生語でギリシャ語によく似た単語や発音があるそうです。ルステラの人は神の奇跡を見たときに、バルナバパウロの2人がそのことをしたのだと思いました。どこの国や地域でも見えない神よりも、見える人間に注意が向くのは仕方のないことだと思います。それゆえ主は「信仰」ある人を大切に扱いました。この話の発端もパウロが足の不自由な人の心に治る信仰があるのを見つけたことからです(9)。日本でも人が祈って、病が癒されたならその祈った人が注目されるでしょう。それが神のわざだと説明しても、祈祷師に能力があると考えるのは自然なことです。ユダヤ人以外に宣教することはそういう意識と戦わなければならないということです。バルナバパウロが対面した問題は、日本人が抱えている宣教の難しさと同じように思います。たとえ奇跡が起きても、その背後にある神に目を向ける人が少ないのです。むしろヘルメスやナイキなど神の名前がブランド名となり、知らず知らずに、その製品のとりこになる人のほうが多いと思います。