クラウデオ・ルシアの判断

使23;29「その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました」
エス様がピラトのさばきを受けたときもピラトの判断は同じでした。イエス様には死刑や投獄にあたる罪はないとしたのです(ルカ23:4など)。誰かをさばくときは、あくまでローマ法のもとでさばき、ユダヤの律法など彼らには関係ありません。いきなり、パウロユダヤの律法を犯してます、と言われても困ります。ガリオ地方総督などは、たとえ民衆が会堂管理者を裁判所の前で打ちたたいても、知らない顔をしていました(18;17)。しかし、今回は暗殺計画まで飛び出し、ただ事では済まされません。千人隊長はすでにパウロローマ市民だということを知っています。ローマ市民が暗殺されたとなると、千人隊長の責任も問われます。聖霊によって、皇帝の前で証しすることが今回の大きな目的です。ほんの小さな事件がここまで膨れ上がったのは、イエス様が死刑になったときとよく似ています。ユダヤ人の中にある今まで守り続けた律法への執着が、パウロを排除しようとするのです。それはある意味神を恐れる行為の延長にあると言えます。聖書の御言葉と違うことを主張するなら、それは放っておけないことです。たとえ、キリストが目の前に現れたとしても、御言葉と違うことを言うなら信じることはできません。それほど神の言葉は正しいのです。