ただ神の恵みにより

ロマ3:24「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」
律法を行なうことで義と認められることはありません。律法は罪の意識を生じさせるためのものでした(20)。創世記からイエス様の時代まで約4000年もの間、ユダヤ人たちは律法を心の拠りどころとして守ってきたのです。律法を行なうことが、神に認められ、受け入れられる唯一の方法でした。ところが、パウロは律法では人の罪は購うことができないと断言するのです。ユダヤ人にしてみれば、青天のへきれきのようなショックな言葉です。なぜ、神はもっと早い段階でメシヤを送り、救いを完結させなかったのでしょうか?4000年はあまりにも長く、人間が忍耐して待つにはとても待ちきれない時間だったと思います。パウロは旧約の時代は逆に神が忍耐をもって、罪を見逃してきたのだと言います(25)。ユダヤ人が他の神に走らず、ただ主だけを神として崇めたなら、歴史は変わっていたのかも知れません。しかし、肉に閉じ込められた人の魂と霊は、肉の思いのゆえに自由に神を求めることができませんでした。救われるには、どんな行いも捧げ物も役には立たないのです。ただ、信仰によってイエス様を信じることだけが、購われる唯一の方法です。それは、ただただ神の恵みによるのだとパウロは宣言しています。