偽りを言う霊

1王22:22「彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ』と仰せられました」
ある天使ではなく、ある霊と表現されています。新改訳では天使という表現ではなく「御使い」という言い方になっていますが、御使いはヘブル語で「malak(マルアック)」となり、ここでいう「霊」は「ruwach(ルアック)」で、主の近くにいた天使のことではないようです。英語でも「angel」と「spirit」と明らかに違っています。ヨブ記では主とサタンが会話する場面がありますが、ここでもサタンが主を取り巻く霊に紛れて、人を陥れるチャンスをうかがっていたのでしょうか?主がこの霊を使って預言者が偽りを言うことをお許しになっているのです。現代でも預言者と呼ばれる人は何人もいますが、すべての預言が正確で真実に預言するとは限りません。クリスチャンは一人一人が預言を吟味し、果たして主からのものかどうかを知る必要があります(1コリ14:29)。それでも自分の耳に心地よい預言ならば信じやすく、逆に、アハブのように常に自分に不利な預言ばかりならば、その預言者を遠ざけるのもわからなくはありません。王であろうとなかろうと、主からの言葉が心に刺さり、痛くても、受け入れる信仰が必要です。アハブとヨシャパテの生死の境はここにあったように思います。