神の川流れ、あふれている

エゼ47:5「彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった」
神の川の量が増えていく様子が書かれています。くるぶしまででもなく(3)、ひざまででも腰まででもなく(4)、泳げるほどの水の量になったのです。イエス様は種は良い地に落ちて100倍、60倍、30倍の実を結ぶ…と言われました(マタ13:8)。また、サマリヤの女には「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます(ヨハ4:14)」とも言われています。水は聖霊の象徴です。徐々に聖霊が注がれるなら、それは頭の上にまで達し、泳げるほどにまでなるのです。聖書には一気にあふれるようには書かれていません。段階があるのです。聖霊の働きにも、その人の成長に合わせた段階があります。たとえば、人を受け入れる場合、誰からも好かれるような性格の明るい人を受けれることは簡単です。しかし、誰からも嫌われ、気難しく、短気で暴言を吐くような人はどうでしょうか?すべての人を無条件に愛するとどんなに口では言っても、実際の行ないとなると難しいものです。以前は受け入れなかった人も、聖霊の働きによって心が溶かされ、悔い改め、信仰を持ち直すなら可能になるでしょう。クリスチャンの醍醐味はここにあります。主にあって成長し、キリストの身丈まで達するのです(エペ4:13)。