シシャクは攻撃を中止せず

2歴12:9「エジプトの王シシャクはエルサレムに攻め上って来て、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾をも奪い取った」
へりくだることは自分が正しくないと認めることです。自分こそ正義だと思っていても、正義の定義など各々の人生の数だけ存在します。自分の不利益なことを正義だと考える人は少ないでしょう。そういう意味において、イスラエルのつかさたちと王が「主は正しい(6)」と言ったことは大きな意義があると思います。主もその言葉に応じて、エジプト軍によってイスラエルが懲らしめられることはなくなりました。しかし、エジプト軍が進軍をやめたわけではありません。主の力ならエジプトを帰らせることもできたでしょう。主は「わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである(8)」と言われ、レハブアムがへりくだった後も、厳しい教えを伝え、二度と思い上がることがないように戒めます。このようなことがあってもレハブアムは「彼は悪事を行なった。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった(14)」…と書かれています。大きな試練を乗り越え、苦しみがなくなると途端に主を求めなくなる、というのは世の常です。「苦しいときの神頼み」という日本のことわざがありますが、まさにその通りです。自分が生きていることに何の不思議も感じないならば、その人はただ死んでいくだけです。創造主と出会い、交わりをもつことが人にとって重要なことではないでしょうか。