マナセの悔い改め

2歴33:13「神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った」
マナセが一度バビロンに連れて行かれたのは、背後に主が働いていたからです(11)。主はマナセと民に語られたが、彼らは聞こうともしませんでした(10)。バビロンに連行したのは、主の苦肉の策だったのかもしれません。それでもマナセが悔い改めなかったら、すでにサマリヤが陥落している北イスラエルの二の舞です。ユダは捕囚にあい歴史は大きく変わっていたでしょう。南ユダが踏みとどまることができたのは、マナセの心の中に残されていたほんの僅かな信仰のともし火でした。マナセは必死に主に頼り祈ったので、主は彼の願いを聞き入れました。聖書には「へりくだって」という言葉が使われています(12)。主の前ですべてをさらけ出して、自分は間違っていたと認めることがへりくだるための第一歩です。自分の罪は棚に上げて、自分には何も落ち度がないけれども、自分の要求するものは欲しい…と思うなら、主はその願いを聞き入れなかったと思います。ただ苦しいから、苦しみの中から抜け出したいだけの祈りなら、それは自己中心的なものになってしまうでしょう。悔い改めるべきは悔い改め、主の前で素直な気持ちで心から願うなら、主が目を留めてくださるかもしれません。すべては主の栄光につながるのです。