主の知恵、人の知識

箴3:26「主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ」
知恵があるなら自分の悟りに従わず、主の教えを守りその道を歩むはずです。なぜなら主を恐れることが知識のはじめだからです(1:7)。これは神との契約です。旧約の「約」は約束の約です。神の提示した命令を守るなら、神はその人と共におられ守ってくださり、ある人には大きな富と財産を与えてくださるでしょう。その代表となるのが十戒だと思います。まず何よりも大切なものは「わたしのほかに神々があってはならない(出20:2)」という命令です。十戒の最初に来る最も重要で、世界の終わりが来ようとも変ることのない普遍のものです。これがソロモンの箴言の中には軸となって語られています。もし、この部分が崩れるなら、知恵が正義だと言われる根拠が崩れてしまいます。主こそ知恵であり、主を恐れることが知恵のスタートなのです。どんな場面でも主を認めることができれば主はともにいてくださいます。知識がどれほどあろうと、主の設計された世界を知るにはまだ僅かにしか解明されていないのです。世界中のノーベル賞受賞者たちが集まっても、主の持っている知恵と知識のほんのかけらほども理解できないでしょう。自分こそ知者だと思うなら、その知識のゆえに主によって愚かにされてしまうのです。