盗んだ水は甘い

箴9:18「しかしその人は、そこに死者の霊がいることを、彼女の客がよみの深みにいることを、知らない」
また「女」のことについてです。騒がしい女(13)の「女」はヘブライ語で「'ishshah(イシャー)」で、創世記でアダムのあばら骨から造られたときの「女」はこの言葉です(創2:22)。今度の女は思慮に欠けた者たちを誘惑します。「盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい(17)」…隠れて人に知られずに、自分の思い通りに振る舞うことができれば気持ちいいでしょう。盗んだものには「盗まれた」という反対側の立場にいる人の嘆きと悲しみがあります。また、おいしい食べ物を分け与えずに独り占めすることも満足を得ることができるでしょう。盗んだ水もこっそり食べる食べ物も、身勝手で思慮に欠けた者たちの選ぶ道です。しかし、それは死者の霊が待ち構え、よみの深みに引きずり込もうとしている女の罠です。もし知恵と悟り、すなわち「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである(10)」という両方を持つことができれば、女の誘惑に陥ることもなく、死者の霊が待ち構え、よみの深みに行くこともなくなるはずです。盗みやこっそり食べることだけを指しているのではなく、主を認め、主が造られた人との間に和を求めることを示しているのではないでしょうか?自分勝手と言われる人生か悟りのある人生かは、箴言を読む人の判断によります。