悟ってやめるべきこと

箴23:4「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ」
生活の中で欲しいものは多々あります。しかし、必要なものとなると、ある程度数が絞られるのではないでしょうか?富を追いかけて、富に仕えることは主の御心ではありません。たとで世界中の富を手に入れたとしても「富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く(5)」と書かれているように、自分の手元には残らないのです。金持ちのほとんどは自分が使い切れない富を自分の子孫のために残そうとします。それは富が地上だけのものだと悟っているからです。どんなに贅沢に暮らしたとしても、50年がいいところではないでしょうか。死んだら価値のなくなるものに仕えるのは、ある意味こっけいに見えます。神を信じる信仰は死んでも続くものです。なくなるものに仕えるのではなく、永遠に続くものに仕えたほうが得策です。何でも欲しいものが手に入っても人の心は満たされないのです。豪華な住まい、高級車、誰も食べたことのないようなご馳走…それらは人の目を曇らせ、神への信仰を後退させるものです。「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい(マタ19:24)」と言われたイエス様の言葉はソロモンの知恵の言葉を裏づけるものです。金を追いかける生活に、心の平安はありません。貧乏でも主とともにいるほうが、金持ちで心が空虚でいるよりずっとましなのです。