詩篇39篇 私の齢が、どれだけなのか

詩39:4「主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように」
人は罪を犯してからは、アダムの時代には900年ぐらい生きていました(創5章)。もしペテロが言うように1日は1000年のようであるなら(2ペテ3:8)、人は誰も1日も生きながらえなかったことになります。その後、神は人の寿命を120歳までとし(創6:3)、21世紀の今日、誰も120歳を超えて生きる人はいません。それどころか寿命は120年も持たず、モーセは「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年(90:10)」と言っています。モーセもまたダビデやソロモン(伝1:2)のように人生は「労苦とわざわい(90:10)」だと感じていたようです。あの戦いに明け暮れたダビデが自分の齢を語り、短い人生がどれほどはかないかを痛感しています(5)。特に日本では神に出会うことが、いかに幸いなことであるかが理解できます。1%未満のクリスチャン人口では、主に出会うチャンスは本当に稀です。ダビデの言う「私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように(13)」は、はかない人生の中でできる小さな望みなのでしょうか。