食べ飽きたら高ぶる

ホセ13:6「しかし、彼らは牧草を食べて、食べ飽きたとき、彼らの心は高ぶり、わたしを忘れた」
高ぶりが食べ飽きたことによって生まれるのなら、満腹感はとても危ないことかも知れません。確かに心の餓え渇きと、肉体的な餓え渇きがリンクしてないわけではありませんが、人が満たされ続けると、自分は不幸にならないだろうと勘違いするのはなんとなくわかります。祝福を受け、満たされることが悪いわけではありません。主は必要に応じて、あふれるほどの祝福を用意されています。しかし、そのタイミングは人が願う時と必ず同じというわけではないのです。時として、忍耐を学ばせるために、時間をずらして恵みが与えられる場合があります。それは、何の苦労もなく何でも与えられた子どもを見ればわかります。そういう子どもは、忍耐がなく、わがままで、人に対する思いやりに欠けます。主は人に成長してもらいたく、できればキリストに似た者になってもらいたいのです(2コリ3:18)。そのために人には多くの学びを用意しておられます。主に近づき、主に仕えるものにはより早く成長するために、非常に険しい困難を経験しなければならないでしょう。「あの人は罪を犯したから罰を受けているのだ」…と考えないことです。ヨブのように、愛される人には、理解に苦しむほどの試練が与えられるからです。