能なしの牧者

ゼカリヤ11:16「見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く」
牧者ならば羊を養うはずです。この牧者は「能なしの牧者(17)」と呼ばれるほど、羊のことをケアしません。とんでもない牧者ですが、主が「この地に起こ」された者です。すべては主の許しがなければ始まらないのです。牧者や羊が教会のことを示しているのであるなら、この言葉は終わりの時代に教会の中に間違ったリーダーが立てられるとも思えます。反キリストは教会に対抗する国とか団体から出てくるのだと思っていましたが、この表現だと教会の中も気をつけていなければならないようです。指導者がより誘惑にさらされ、教師には格別厳しいさばきを受けても(ヤコブ3:1)、主が守ってくださるでしょう。しかし、最初から主のご計画によって地に起こされる者は、ここに書かれているような性質を持っているのだと思います。すなわち、迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない…という性質です。見分ける方法は簡単です。その人に「愛」があるかどうかです。この世には強いメッセージで民衆を引っ張り、だませる者もいるでしょう。主の立てた本物のリーダーは、へりくだり、愛をもって羊を守れる人たちです。