かしら石

ゼカリヤ10:4「この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る」
かしら石は神殿の礎に使われる石のことで、もしこの石がゆがんでいたり、もろく弱いものなら、神殿を建てることができず、仮に建ったとしても磐石ではないために崩れてしまうでしょう。イザヤによればこの「かしら石」は、「試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない(イザ28:16)」と書かれ、イエス様を示していることがわかります。そしてゼカリヤも同じたとえを語り、「鉄のくい」「いくさ弓」「すべての指揮者」と続き、すべてイエス様を指しています。ひとりを多くのたとえで説明することは聖書の特徴で、イエス様を語っている福音書も4つありますし、ケルビムの顔には4つの違った顔があったことが書かれています。神ご自身も3つの面を持ち、父、子、聖霊とそれぞれ違った役割を持っています。イエス様はすべての試みに会われたと書かれ(ヘブ4:15)、極みの上から人を眺めて、人が苦しむのを万能の力で解き放たれるわけではありません。主ご自身が人と同じ経験をし、同じ悩みに直面したために、主は人をあわれむことができるのです。そして、イエス様は人の通るべき道を示し、人がどうやって神とともに歩むのかを教えてくださったのです。イエス様こそかしら石にふさわしいお方です。