塩気の話

マタ5:13「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです」
塩はギリシャ語で「halas(ハラス)」です。もし、塩に塩気がなくなれば、それは単なる白い粉になってしまいます。味気のない、役に立たず、意味のないものに対して誰かが興味を持ってくれるでしょうか?ただ白いだけの粉は、邪魔なだけです。神を信じる者も同様にただ人であるだけならば、誰が振り向いてくれるでしょうか?食べて、寝て、息して死んでいった…もしこんな人生なら、神が介在した証拠などどこにもありません。たとえ祝福されていないような難しい環境の下であっても、その人が祈り、主に拠り頼んだ姿を周りの人たちが見るなら、神がその人の人生の中におられともに生きているを信じることができます。誰もが恵まれた人生を送れるわけではありません。むしろ、イエス様が言われたように、主のために迫害を受けるようになるでしょう(10)。肉の思いは主とともに歩もうとする姿に嫉妬します。つまり、塩気があれば迫害されるようになるかもしれないということです。逆に塩気のゆえに神を認め、神を信じるようになるかも知れません。それは、どれだけの味気があるかにかかわってくると思います。薄い塩気ではなく、ピリッとしたパンチの効いた塩気であれば、神の存在をもっと深く感じてくれるはずです。