寝床はない

マタ8:20「すると、イエスは彼に言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません』」
旅行する際に宿泊するホテルなどの施設が充実しているとホッとします。もちろん豪華で値段の高いホテルはすばらしいホスピタリティー(おもてなし)を提供してくれます。反対に安宿で、サービスの悪いホテルはどうも安堵できません。部屋が狭く、汚れていて、ベッドのカバーもいつ換えたのか疑問に思うぐらい汚ないなら、心に安らぎがなくなってしまいます。それでも雨風が防げて、騒音からも守られているなら、一夜の睡眠はそれなりに人の体力を回復させ、次の日の生きる活力になりえるでしょう。でも、一番落ち着ける場所はなんと言っても、自分のいつも寝ている寝室です。イエス様は自分は特定の家を持たず、いつどこで寝るかもわからない…と言われました。人がどんなに疲れても、癒される場所があることは救いです。誰でも、自分の信頼できる場所や人に甘え、心の安らぎを得ています。しかし、イエス様はそんな当たり前と思える寝床でさえ放棄し、主だけが満たしてくださるお方だと神への信仰を優先させたのです。律法学者の「どこへでもついていきます(19)」は、やがてイエス様の仕事が終わったなら、寝床に帰って休むだろうと思い込んでいるニュアンスがあります。イエス様は「ついてきても、家には帰らない」という難しい選択を律法学者に迫っているのです。