恐れを知らないもの

ヨブ41:33「地の上には、これと似たものはなく、恐れを知らないものとして造られた」
恐れがないならば、傍若無人に振る舞い、好き勝手な判断で思うがままの状態になってしまいます。幸いにしても人間はこのようには造られませんでした。しかし、レビヤタンを造られたのは神であるとご自身が証言しておられます。それがなぜかはわかりませんが、やがて来る最終決戦のときの相手ではないかと想像できます(黙20:3)。もちろん文面通りに口から炎を吐き(21)、表面も硬いよろいのようならば(3)、誰も太刀打ちできないでしょう。人はもちろん相手にはならないし、もし仮にレビヤタンが本気で地上で暴れるなら、人間は簡単にレビヤタンに屈服し、支配されてしまうかもしれません。それでも現在までにそんなことが起きていないのは、レビヤタンもまた主の創造物であり、何らかのご計画のうちに造られたからです。恐れがないものはただ高慢になるだけで、へりくだるという概念がありません。「神をも恐れない」とは、よく日本語で使われるフレーズですが、まさにレビヤタンは最初からそのようなものだったのです。ある学者たちはレビヤタンはサタンのことだと考えているようですが、レビヤタン=サタンの化身かどうかはわかりません。しかし「恐れをしらない」と「悔い改めない」は同じことです。レビヤタンが神のご計画であり、やがて人の目に触れるようになるのも間近だと思います。