手をふところに入れる

出4:7「また、主は仰せられた。「あなたの手をもう一度ふところに入れよ。」そこで彼はもう一度手をふところに入れた。そして、ふところから出した。なんと、それは再び彼の肉のようになっていた」
「ふところ」は父の象徴です。ふところ、すなわち父のもとから一度離れたなら、罪にまみれて汚れた状態になってしまいます。しかし、再びふところに手をいれるなら、すなわち父のもとに戻るなら、ツァラトつまり罪は消え元のきれいな状態になります。モーセの行なった、このわずか2節の間に福音の基本が語られています。主は「たとい彼らがあなたを信ぜず、また初めのしるしの声に聞き従わなくても、後のしるしの声は信じるであろう(8)」と言われました。最初のしるしとは杖が蛇になることです。なぜ蛇だったのでしょうか?花を咲かせたり、他の動物に変えたりすることもできたはずです。蛇はサタンの象徴であり、「罪」を表わしていると思います。モーセはいつも杖を使っていました。それは自分の手の内に罪はあり、自分の支配下にあるという神のメッセージでもあります。しかし、エジプト人は第一、第二はおろか第三のしるし、水が血になることまで見なければなりませんでした。エジプト人の心のかたくなさは、主が用意したすべてのしるしを見せてもまだ柔らかくはならなかったのです。